彫金(ちょうきん)とは主にたがね(鏨)を使って金属を彫ることです。
現在は彫金師がほとんどおらず、高齢化の一歩をたどっています。当社も彫金師の育成に苦慮しています。彫金師として、そこそこに絵柄が彫れるようになるのには朝から晩まで毎日彫金に係わって10年はかかるでしょう。それでも自由自在に彫りこなせるまでは程遠いでしょう。親方に就いて朝から夜まで下働きをしながら見て覚える日々の連続です。通いの者も居れば、住み込みの者も居ます。
 
最初の頃は来る日も来る日も彫るために固定するヤニつけです。ヤニつけとは松脂の樹脂をアルコールランプの炎で炙りやわらかくして彫る金属につけて固定します。すこしやわらかくなったガムのようなものです。冷えると金属に着いて固まり衝撃も吸収します。次に覚えるのは梨地掛けです。梨地とは主にガーネットの小石を金属にジョウゴで水と一緒に落としくもらせます。梨の肌のようにざらざらしているので梨地と呼びます。数年経つと真鍮などの板に真直ぐの線を彫る練習を毎日します。いよいよ親方の仕事を見様見真似で商品の一部分だけ彫らしてもらうようになります。戦前位の人たちは昼間親方に奉公し、夜は絵(日本画)の勉強に行ったそうです。絵心がないと彫金が彫れないという考えかたでした。並大抵の修行ではないので、たいてい驚いて、辞めてしまいます。数百年続いた伝統工芸の彫金も後継者が居なく苦慮しています。
  

江戸時代は刀の鍔や、かんざし、煙管などが多く、現在に至っては工芸品、指輪、装飾品等に彫金は使われています。修行を積んだ手彫りの技術は素晴らしく、花柄や連続模様など筆で描いたような仕上がりを見せます。また龍や虎など生き物は飛び出してくるような、生き生きとしたタッチと力強さを彫りだします。中国から伝わった技術ですが、日本独自の繊細さと、日本画にみる情緒さを表わす独自の彫金文化が生まれました。大正時代から残っている柄帳など調べていくと、どうやって彫るのか解らないものも出てきます。タガネが違うのか、技術が継承されていないものがあるのか分かりません。10年前位大正生まれの彫金師さんにタガネを見せていただいたことがありましたが、全てご自分でつくり色々の大きさ、色々の刃先のタガネが100本ぐらい研ぎこんで刃先はピカピカの状態で在りました。常に錆びないように磨いていたのだと思います。どうやってその沢山のタガネを使い分けるのだろうと今更ながら尋ねなかったのが悔やまれます。これからも彫金を生かした指輪作りを尚一層作りこんでいこうと思っています。